話題の映画『バブル』を見に行ったら思いの外面白かったという話

#映画バブル 感想

まずこの映画を取り巻く状況として、既に悪評が悪評を呼び、「みんながつまらないって言ってるからつまらないのだろう」という段階に入っていることから、今更世間の評価を如何するということは不可能であると認識してはいるが、私個人の感想としては非常に面白い良い作品であった。

悪評は雪だるま式に肥大化し今や止めようもないが、その発端には視聴者の不興を買った「引っかかるポイント」が必ず存在する。それらのポイントは本作の支持者である私の目にも明らかであり、端的に申すと

・キャスティングの失敗──志尊淳とりりあ。(と広瀬アリス)は神木隆之介上白石萌音になれなかった

・キャラデザの失敗──小畑健はキャラデザ一般に高い評価を擁する作家ではなく、また彼が類稀なるデザインセンスを有する「病み/ゴス系」のキャラ(ミサミサリューク、L等)が本作にはほんの少し(仮面を外した時のアンダーテイカー)しか登場しない

・主人公キャラ付けの失敗──主人公の内面に対する作り込みが不足している。視聴者は主人公に関心を持てず、主人公への無関心は主人公を取り巻く事態への無関心へ繋がり作品への没入感を失する原因となる

・ターゲッティングの失敗──上記のような失敗によってオタク層の支持を得損ねたにも関わらず、この作品が描きたい主題、軸、世界だかそういったものは完全にオタク向けであった。それ故、オタク的視聴体験に不慣れな一般層にとっては関心を持ちづらい筋書きになっていたことと思う。大衆向けと呼ぶには煩雑に過ぎ、表面的な部分でオタク受けは悪く、残ったのは「これだけ悪く言われているあの作品は実際どのようなものなのだろう」などという捻くれた好奇心を持つ私のような視聴者だけになってしまった。

・プロモーションの失敗──本作の劇場公開と同時に漫画版、Netflix版が公開されたが、いずれも裏目であった。私自身が触れたのは漫画版のみだが、「劇場で見ると良かったがNetflixで見るとめちゃくちゃつまらなかった」という感想があるのは聞き及んでいる。Netflixで見た視聴者が「『バブル』はつまらない」という感想を抱き、それがシェアされることでこの映画の悪評に拍車をかけたことは想像に難くない。
漫画版も同様である。私はジャンプ+の愛読者なのでこの漫画を直に読み読者諸兄の感想も拝読したが、コメント欄では総スカンを食らい、ビュー数ランキングもほぼほぼ最下層と言って差し支えない位置に甘んじている。(余談だが同順位帯であってもビュー数が少ないだけで読者の満足度は高いという作品が殆どであり、順位が低く評価も低いという作品はほんの一握り、本作のコミカライズはその一握りのうちの一つである。)私自身この評価に異議を申し立てる気も一切ないくらいの感想を漫画版には抱いている。全て無料公開されているので詳しくは書かないが、コミカライズに当たって伝達不足、資料不足、行き違い、何かそういった手続き上の不備があったとしか思えない。「これを見て映画行こうとはならないよね」という読者コメントが端的にこのプロモーションの失敗を表している。

・ところどころ不親切──「野良泡」は文字で見ないと意味不明だよ……結構重要な単語なのに音で聞いてもん?ってなって終わりや!あと「アンダーテイカー」(チーム名)のことを気軽に「葬儀屋」って呼ぶな!その単語この国でそんな浸透してないだろ!普通にアンダーテイカーって呼べ!

さて、斯様にして世人の大半から好評を得ることに失敗した本作であるが、私はこの映画を面白いし、良い作品だと思った。良い、とはどういうことかと問えば、芯があり、描きたい画面があり、見せたい世界があり、それを伝える手段にも不足はなくそれどころか新鮮さと驚きがあった。と思った。何よりも、本作の目玉である「バブル」という存在が、不可思議で面白く、怖ろしくて、それでいて親しみも愛着も持てる、とても魅力的なものであった。このレビューを描いている間もあの「バブル」という怖ろしくも愛すべき存在を思い返して余韻に浸っている。しかし、私がこうした感想を持ち得たのも私がこの映画を見るに至った一つの特殊な経緯によるものが大きいと自覚しており、それ故手放しに「ゴチャゴチャ言われてるけど面白いから今すぐ見に行け!!」と勧める気にもなれない所存である。

その経緯というのは、簡潔に言うと「漫画版を読み、『バブル』という存在の正体を確かめるために劇場へ行った」というものである。プロモーションばちくそ成功しとるやんけ!!というツッコミもあろうが、斯様な思考に至った読者が極めて少数派なことは前述の通りなので、勘違いしないように。
漫画版との連関で一つ述べたいのが、漫画版で説明不足だった部分が映画においては気持ちよく自然に説明されている、ということだ。この点も漫画版経験者にのみ許されたある種の快感に過ぎず、多くの視聴者にとってのアピールポイントとはなりえない点は指摘して置かなければならない。子供たちは何故崩壊した東京に残っているのか、いきなり出てきた「赤い泡」って何やねん、「お姉さま」って何やねん、そういった漫画版にあったツッコミどころが、あたかも漫画版に不足していた部分を補うかのごとく(映画が先で漫画版はそのプロモーションなのでそんな訳はないのだが)映画では自然に理解できるようになっていた。逆に言うと、漫画版はこれらの説明不足によって作品への没入感を失しているので、プロモーションの失敗もさもありなんといった次第である。

また、「バブル」という存在の正体についても同様である。私は漫画版を読んで「『バブル』って結局何なのだろう」という疑問を抱いて劇場に行き、結果そのバブルという存在に魅了され満足のうちに劇場を出ることが出来たのであるが、はて大半の視聴者にとって初めからこのような視点を持って本作を見ることが可能だろうかといえば、ノーである。それも甚だしくノーだ。理由は簡単で、本作の宣伝が「制作陣」と「パルクール」にしかフォーカスしていないからだ。せめて煽り文句に「突如飛来した正体不明の存在、『バブル』」とでも付けておけばまだ視聴者の関心の先を誘導することも出来たろうに、今PVを見返しても「制作陣」「好きに跳べ」「崩壊した東京」「ふたりなら、超えていける──(この文句は視聴を終えたあとに見ると一層意味不明だ)」などといったアピールしか頭に残らない。私は「バブル」という存在についてある程度考察し頭の中を整理し答え合わせを求めるかの如く劇場に足を運んだ珍しい視聴者だったため上手く魅了されることができたが(しかも大半の漫画版読者にとっては漫画版の不足点にばかり目に行って、そこを真剣に考察する気にもなれていないのだ)、まっさらな状態で見たなら、パルクールの華やかな画面ばかりが強く刻み込まれ、「バブル」という存在については何か壮大でボーイ・ミーツ・ガールなお涙頂戴が展開されたとしか映らず、総じて上辺だけ美麗な中身のないメロドラマを見たという感想になるであろうことは想像に難くない。この点、「パルクール」と「バブル」で作品の軸が散らかっている、と言われても仕方がない。

主人公に魅力を感じられない、というのは先に指摘したが、その点も私にとっては、「バブル」が何故主人公に惹かれるのかについて当たりを付けていたし、実際に確かめたその理由も納得の行くものだったから、「バブル」視点で主人公が魅力的に見えるのが理解できた。そのため主人公の作り込み不足は気にならなかったのだが、このような特殊な見方でなければ、突如現れた美少女が何故かそんなに魅力もない主人公のことを大好きで……と、クソつまらないの典型みたいな展開としか取れないのも自然である。
また声優についても多少感想を述べると、私は「棒読み声優フェチ」であり、声優が棒読みであればあるほど(私自身認知してない限度はあろうが)幸福度が増す変態なのでアイドル声優は無問題だが広瀬アリスの滑舌は少し気になった。あとシンさんと宮野真守は声と顔が合ってねえな……とは思った。

総じて、作品の表面的な部分や広報・展開の仕方でミスってしまって商業的に失敗しているが(今回観客は私含めて5人しかいなかった)、私は本作が一つの映画として、作品として失敗しているとは思っておらず、作品のコアも、崩壊した東京、無重力空間、パルクールの華やかなアクションの描写も美しく、視聴を十二分に楽しむことができたし、様々の幸運な経緯の結果とは知りつつもそれでも私がこの作品を相当好きなことに変わりはない。小説版も買ってきた。今から読むつもりだ。

それでもなお、他人に勧めるに際して「まず漫画版を読んである程度考察を深めてから行くといいよ」とは中々言いづらく、しかしそうせざればこの作品を芯から楽しんでもらえるとは思い難いので極めてお勧めしづらいというのもまた事実だ。せめて拙文をここまで読んで下さった諸兄においては「バブルの正体とは何か」と言う点に着目して見てほしいと切に願うばかりである。
最後に、本作品の知られざるアピールポイントとして、「マコトさんのケツとおっぱいがでかくてたまらねえ」という点を挙げつつ、筆を置くことにする。